たかがこれだけのことで心が大騒ぎする

うつ病になるような人は楽しいことがないのではなく、
楽しいことを体験する能力がない。

しかし、はじめから楽しいことを体験する能力がなかったわけではない。
はじめは普通の人と同じであっただろう。

色々なことをしてきた。でも、自分の本性を裏切り続けた。
そして嫌な体験が多かった。つらいことが多かった。楽しいことが少なかった。

そのために、しだいに嫌なことに気を奪われるようになっていった。
楽しいことが少なくなり、しだいに些細なことが、
すごく嫌なことに感じられるようになった。

楽しいことがあっても、嫌なことに気を奪われるようになった。
楽しいことに意識がいかなくなった。

意識がいかないということは「ない」ということである。
楽しいことがあっても、それは楽しいことではなくなる。

自分の人生に嫌なことしかなくなってくる。
次々と嫌なことが気になりはじめたら、自分はいま楽しいことを感じる能力が
ないと自覚することである。

同じ生活をしていても、エネルギッシュな人には嫌なことが「ない」ように
うつ病になるような人には楽しいことが「ない」

美しい景色を見ても、エネルギッシュな人とうつ病になるような人とでは
まったく反応が違う。

エネルギッシュな人なら「わー、きれい」と感動する。そしてホント幸せとなるだろう。
たとえその時に嫌なことを抱えていても、その感動が心の中でいっぱいになって
嫌なことが嫌なことではなくなってくる。

嫌なことは決して消えていないけれども、嫌なことに意識がいっていないから
その人にとっては嫌なことは「ない」も同じなのである。

そしてさらに楽しいことを感じる能力が増してきて、
いよいよ嫌なことを嫌なことと感じなくなる。

うつ病になるような人は美しい景色を見ても何も感じない。
その景色を目にしているときも、嫌なことに気を奪われている。

いま目の前にある景色に心が反応しない。過去の嫌なことに心は占領されている。
毎日が嫌なことの連続の中で、いよいよ楽しいことを感じる能力がなくなり
嫌なことを針小棒大に感じるようになる。

たかがこれだけなのにと思うことで心が大騒ぎする。
うつ病になるような人は、とにかく嫌なことで心がいっぱいになっている。
だからどうでもいいようなことでも、ちょっとうまくいかないともうダメだと落ち込んでしまう。