既成のカテゴリーでしか人を見られない

神経症的な人は、相手がどのような人であるかを判断する心理的ゆとりはない。
とにかく自分の心理的葛藤にばかり注意がいってしまい、相手を見るゆとりがない。

ただひたすら相手に対して「こうしてほしい」ということばかりに関心がいってしまう。
そのようなことを期待しても無理な人に、そのようなことを期待する。

優しい人に優しさを期待するならよいが、冷たい人に優しさを期待する。
相手の性格と関係なく相手に同じ期待をかける。

神経症的な人は一人一人の違いが理解できない。男とか、女とか、若いとか、高齢者とか、
日本人とか、外国人とか、とにかく既成のカテゴリーでしか人を見られない。

具体的に違う一人一人の現実の個人というものが視野に入らない。
そこで母性的なところのない人に母性を期待する。

例えばマザコンの男性などは付き合う女性が変わっても、同じように母性愛を求める。
そして自分の求めるものが手に入らないと相手に対して怒り出したり、絶望したりする。

自分が求めるものを与えてくれると期待する人を間違えているということに気が付かないで、
相手に絶望したりする。絶望されるほうこそいい迷惑である。