親の要請する生き方に疑問をもたずに従った

絶えず不安に動かされ、仕事熱心で趣味もない人間であるという人は
一度一人静かな場所で、自らを振り返ってみることが必要である。

そして、自分自身に問いかけてみることである。

自分はありのままの自分を他人に受け入れてもらったことがあっただろうか?
親はありのままの自分を一度でも愛してくれたことがあっただろうか?

自分は愛された、ただ「まずい」と感じても「おいしい」と言った時。
自分は愛された、ただ遊びに行きたいのを我慢して部屋の掃除をした時。
自分は愛された、ただ疲れていても寝ないで勉強した時。

そうして気がつくに違いない。自分は生まれてから一度だって
ありのままの自分を愛されたことなどないのだ、と。

彼は責任感が強く、義務感、正義感も強い。
それなのに、自己に対する要求水準の異常な高さはどこからくるのか?

それは、周囲の期待を感じ、その期待を裏切ることへの過度の恐怖心からである。
だからこそ、優柔不断なのである。優柔不断なくせに責任感だけは強い。

その結果、例えば部下は迷惑を被っている。彼は周囲に評価されようと、
強い責任感をもつが、結果として部下はやりきれないのである。

彼のビジネスマンとしての責任感は、幼い頃、親の成功に対する
期待に沿おうとしていた時と同じものではないのか。

家庭の社会的評価を向上させようとした親、その役割を自分に期待した親、
その親の要請に従おうと一生懸命だった自分、その結果として、
絶えず重圧を感じていた自分、その自分から、今の生真面目な自分は
一歩も出ていないのではないだろうか。

彼は自己中心的な親に飼い慣らされてしまった。
親に黙々と従属していた彼は、親の要請する生き方に疑問をもたずに従った。
親の求めるよう生きた。そして今、彼は大人になった。

しかし、疲れても休養もとれない彼は、かつての従属の自分から、
果たして成長しているのであろうか。

肉体的には大人になった。社会的には成人になった。
しかし、彼の情緒は、あの相互密着の時代のままではないだろうか。

だから背伸びをする。背伸びをすると興味がわかない。そして常に重圧感がある。
彼の育った家庭は、経済的水準を高め、威信を獲得することで
地域社会に受け入れられようとした。

彼が会社でやっていることは、それと同じことではないのか。