「大きい」「小さい」という人物評価の裏にあるもの

よく「あの男は小さい」とか「あいつは大きい」とか、
格好をつけて他人を評価するビジネスマンがいる。

このように眼に見えないもの、触れないもの、計りようのないものを
基準にして他人を評価する人は、幼稚な人間と思っていい。

「あの社長は小さいよ」などということは、実は何も言っていないに等しい。
人物が大きいか小さいか、というような言い方は、欲求不満の人間にとって
きわめて好都合な言い方である。

「あいつは小さい」と言えば全て解決してしまう。
しかも「あいつ」が社長であれば、「あいつは小さい」と言ったことで
自分のほうが大物になれるような気持ちになる。

このような評価の仕方をする人間は、喝采願望が強く、しかもその自己顕示欲が
満たされていない人間である。

もともと大きい人物は、「大きい」とか「小さい」とか、そんなことにとらわれていない。
「大きい」、「小さい」にとらわれるのは、その人自身が世俗的なことに
とらわれている証拠なのである。

自分の能力には不可能な高い望みを抱き、それが実現できない不満を、
「あいつは大きい」とか、「あいつは小さい」とかいう評価の仕方をして紛らわせているのである。

コツコツと努力して自分の社会的信用を築こうとしたり、人脈をつくろうと
したりするタイプでない人が、「大きい」とか「小さい」とかいう表現をよく使う。

要するに安易に自分の望みを達成しようとしているのである。
その場限りのタイプの人間であるから、そんな人間の価値観に染まってしまえば、
結局は自分も出まかせの人間になってしまって、長い間には誰にも信用されなくなってしまう。