女性の価値は若さだけではない
他人を非難する場合、本当に他人に怒りを感じて非難している場合と、
他人に本当の原因があるのではなく、自分の欲求不満から
他人を非難している場合とがある。
若い頃ばかりでなく、年をとってからでも同じである。
年をとった女性のなかには、不当なほど若さに価値をおいている人がいる。
そんな年とった女性が、例えばパーティーで若い女性と一緒になったとする。
するとその年とった女性は、その若い女性の服装をけなしたりする。
「趣味が悪い」とか「ケバケバしい」とか「色のセンスが悪い」とか、
もちろんその若い女性の目の前でけなしたりしないで、自分の友人にそれを言う。
そしてもし、自分の夫がその若い女性と話をしていたら大変である。
家に帰って夫と二人になったら、きっとその女性は
「あなたはすぐに女に色目をつかっていやらしい」とか「あなたは不潔だ」とか
「あなたはどうしてそんなに浮気っぽいの」とか、夫を非難するであろう。
彼女がそのように夫を非難するのは、彼女のおかしな価値観に原因があるので、
非難される側に原因があるのではない。
若さはそれだけで決してそんなに価値がわるわけでもないのに、
その女性が勝手に若さに価値があると信じ込み、それが自分にないことで
不安になっているだけなのである。
彼女は自分の無価値観に悩んで他人を非難しているのである。
そして、価値ある相手を自分のところまでひきずりおろそうとしている。
自分を守るために他人を非難する人は、受け身な人である。
彼女は若い女性の出現で急に不機嫌になってしまった。
そして彼女は言うかもしれない。
「あの品の悪い女のために私は不愉快になってしまった」と。
しかし、彼女を苦しめているのは、その若い女性ではない。
パーティーで若い女性と一緒になったという、その事実に対しての
彼女の反応の仕方が彼女を苦しめているだけなのである。
事実そのものが問題なのではなく、その事実を彼女が解釈する仕方が
問題なのであり、その解釈に反応する仕方が問題なのである。
彼女が受け身だということは、彼女が単純な一つの事実にひどい影響を
受けているということでわかる。
このような女性は、若い女性といると常に不愉快になるのである。
若い女性の出現が自動的にある反応をひき起こしてしまうのは、
その人に劣等感があるからである。
自信の欠如は、ある一定の事実に対し自動的に一定の反応をひき起こす。