心理的年齢と肉体的年齢のギャップが大きい

たいていの人は見えるものの違いにしか注目しないから、情緒未成熟な大人を理解できない。
はいはいからよちよち歩きに変わろうとする赤ん坊が、立ち上がって二、三歩歩くと
「わー、すごい、もうちょっと」と少し先で手を出す。
十メートルも先にいて手を差し出しては、歩いてこれないからである。

しかし、今の社会は、心理的にはこんな幼児にマラソンを要求するようなことをしている。
だから人も社会も挫折する。ひきこもる人も出てくる。育児ノイローゼになる母親も現れる。

今の母親はできないことを要求されている。今の時代、あまりにも心理的年齢と肉体的年齢の
ギャップが大きくなりすぎた。

経済的なこと、肉体的なことでは、この世の中は弱肉強食ではない。
少なくとも、倫理的にそれは否定されている。

実際に暴力が使われたとしても、暴力はいけないという倫理はある。
しかし、心理的な世界では、間違いなく弱肉強食である。
どんな情緒未成熟な大人が一生懸命努力しても、その努力の誠意は認められない。

必死で歩いているよちよち歩きの幼児を「どうして遅いんだ」と殴る人はいないだろう。
しかし心理的世界においては、そうしたことは日常的に行われている。

心理的には、そうしたよちよち歩きの大人は、必死になって努力しても、
その努力をしたことを認めてもらえずに、怠け者と批判され、自分はダメな人間だ、
冷たい人間だ、豊かな感情に恵まれなかった人間だと、自分を蔑んで死にたくなる。
だから情緒未成熟の大人は生きるのが辛いのである。

人は、見えない部分を分かってくれた時にうれしく感じる。
情緒未成熟の大人は、子供の時からこのような喜びの体験がない。