精一杯努力するからこそ、自らの弱さが力になる

そもそも持って生まれた運命が違うのに、他人と自分は比較しようがない。
自らの人生の使命を自覚するのと、自らの運命を自覚するのとは同時に起きることだろう。

神経症的傾向の強い人はどうしても幸せになろうとして頑張ってしまう。
その結果、現実を受け入れることができなくなる。

もともと神経症的傾向の強い人は、つらい運命を背負ってこの世に
生まれてきているのである。

愛する能力を持った親の元に生まれてきているわけではない。
それなのに人と同じように幸せになろうとするから余計不幸になってしまう。

自分は自分の運命を成就するために生まれてきたのだという覚悟が
できたときに、不幸は別に悪いことではないと思えるに違いない。

そして、自分のどうすることもできなかった不幸を受け入れることで、
不幸を乗り越えることができる。

不幸を嘆いているとますます不幸になっていく。
自らの不幸を呪っているとますます不幸になっていく。

多くの人は傷ついて悩んでいる。
しかしその悩みの原点をたどっていけば、そこには避けることができない
自分の運命がある。

その時その時で精一杯、力の限り生きているから、そこには避けることの
できない原因に気がつくのである。

精一杯生きていなければ、その原因は見えてこない。
「人事を尽くして天命を待つ」と言うが、人事を尽くすから天命が見えてくる。

人事を尽くさなければ天命は見えてこない。自分の悩みの原点が見えてこない。
精一杯生きていなければ「あの時にあーしていれば良かった」という
嘆きが出てくる。そして悩みや苦しみから逃れることができないばかりか、
それをより深刻化してしまう。

「あの時にはあれ以上のことをする能力は自分にはなかった」ということが
感じられるからこそ、自分の悩みの原因が見えてくるのである。

そこに自分の避けることのできない運命を感じる。
不幸もまた受け入れることによって不幸の色が違ってくる。