神経症的要求は生きるのを辛くする

生きるのが苦しいか苦しくないかは日常生活に向き合うときに、
人が、そこに密かに何を要求しているかである。

人はその隠された要求に気がついていない。
ところがその隠された要求こそ、苦しみや疲労の原因であることが多い。

神経症的要求を持つことで、生きることが辛くなる。
それは困難を乗り越える方法を失っているからである。

神経症的要求の激しい人の方が、同じ状況下でストレスは強く、体調は崩しやすい。
車に乗っていてどちらの車線にいるかによって流れは違う。

渋滞して遅い流れの車線に自分がいるときに、何でもない人と、
激しく悔しがる人がいる。

同じ道路を同じに車を運転していてもストレスは全く違う。
自分は幸運に恵まれるべきだと感じている人であればあるほど悔しさは激しい。

同じことをものすごく辛いと感じるのが神経症的要求を持つ人である。

失恋して自我価値の略奪を感じる人は、失恋してひどく傷つく。
失恋によって自己イメージが傷つく人と傷つかない人では、同じ失恋の苦しさは全く違う。

失恋を苦しくしているのはその人の自己イメージである。
自分の弱点に過敏な人は、自己イメージが悪い人である。

同じ失敗がこたえる。

愛されていても愛されているという実感がない人がいる。
自己疎外された人は愛を感じる能力がない。
自己イメージが改善されると、自分はこんなに愛されていたと気がつくことがある。

自分は愛されていないと苦しむ人がいる。
その苦しさを解決するのに、愛する人を求める。

しかし自分の愛する能力を開発することが解決になることがほとんどである。
愛する能力がないから、周りに集まる人も、そういう人が集まるのである。