喪失感と焦慮感に陥っていく

時の流れの感じ方、一日という時間の感じ方が、うつ病的な人とそうでない人では、
根本的に違う。

一時間が過ぎ、一日が過ぎて、時が失われた代わりに何かを所有することになれば
それは取り返しがついたのである。

時は失われた。一日が失われた。しかし、仕事の量で、その取り返しはついたのである。
楽しむことができない彼らにしてみれば、何かを所有しなければ、それは喪失以外の何ものでもない。

仕事の能率も上がらず、お金も貯まらず、人に話せるような珍しい体験もせず、
健康によい運動もせずに一日が終わったとなれば、彼らは強烈な喪失感に陥る。

普通、心の健康な人には、この喪失感はない。
せいぜい「今日一日は何もしないで終わってしまったな」ぐらいである。

一日の終わりに強烈な喪失感に陥り、何とかして取り返しをつけようなどという
感情に襲われることはない。

それは、時間の感じ方が両者で違うからである。
だからこそ、心の健康な人には。この喪失感と焦慮感というのが理解できない。

焦るのは、喪失に耐えられず、失われたものに執着しているから生じてくるのである。
しかし、普通の人にとって、単に時が流れていくことは、それなりに意味がある。

うつ病的な人には、この意味が感じられない。
何かをしなければ、つまり広い意味での何かを所有しなければ、時は空虚なのである。

普通の人に感じられる意味が感じられず、普通の人が感じない喪失感に苦しむ。
また、普通の人は、喪失してもあきらめがつくが、彼らは、その喪失したものを諦めきれず、
喪失したものに執着し続ける。