神経症的要求のある人

神経症的要求を持つ人は、とにかく幸運なり、他人が自分に何かしてくれることを待っている。
自分の方から何かを仕掛けていくということをしない。
淋しい時、自分から人に電話することをしないで、誰か優しい人が
自分に電話してきてくれるのを待っている。

素敵な人に誘われるのを待っている。
自分からそういう人を見つけて誘おうとはしない。

彼らは自分が淋しい時、自分から誰かに電話をかけるということをしない。
誰かが自分に電話をかけてくれるのが当たり前だと感じている。

他人がかけてくるべきなのである。
自分の人生は、そのように準備されていると思っている。
自分の人生は、そのようにできているのだという思い込みが心の底にある。

何か興奮するような体験をしたいと願う。
しかし、自分から何かそのようなことを仕掛けていこうとはしない。

人が何かしてくれると、そのことに不満を言うが、自分からは
何も人のためにはしようとはしない。

何かの会があると、幹事に文句は言うが、自分は決して幹事はしない。
というより、自分が人にされるのを当たり前だと思っている。

自分を常に、人に世話される立場に置いている。
自分も人の世話をしなければとか、自分はいつも世話をしてもらってばかりだとか考えない。

逆に言えば、相手だって何も周囲の人の世話をしなければならないと
いうことはないのである。

例えば何かの集りを企画する。すると連絡の仕方が悪いなどと
文句を言うのは、こうした神経症的要求を持つ人である。

相手は好意でしているので、義務があるわけではない。
しかし神経症的要求を持つ人は、
まるでその人に自分を世話する義務があるかの如く相手に接する。

だから最後には、孤立していくのである。