気を紛らわすことができなくなった

今まで人と会うのが楽しかった。外に出かけることが楽しかった。
でもうつ病になり出すと、人と会うのも、外に出かけるのも億劫になる。

しかし、じつは本人が「楽しい」と思ったことは、本当には楽しいことではなかった。
単に「嬉しい」ということであった。あるいは気を紛らわせていたのである。

つまり「うつになる」ということは、「気を紛らわすことができなくなった」
ということである。

人は良い事があれば本性を隠していても嬉しい。給料が上がれば嬉しい。
誉められれば嬉しい。

給料が低くても楽しそうに生きている人がいるのである。
本性を隠して取り繕って生きていない人である。

逆に給料が高くても、生きるのが苦しい人もいる。
うつ病者は、幼い頃に「楽しい」という体験がない。

家族で海に行った。そこで楽しければ海が好きになるだろう。
しかしそこで親が不機嫌にしていれば、海は嫌な思い出でしかなくなる。

このようなことが、あらゆる生活分野で起きる。すると、何もしたいことがなくなる。
何かをするときの動機は常に恐怖である。
それをしないと、何かもっと嫌なことが起きるという恐怖から、それをする。

そしてそうした恐怖や不安を動機として行動すればするほど、
その背後にある価値観を身につけてしまう。

神経症的傾向の強い親といれば、親に従順な子供は何もかもが嫌になる。
「何もかもが嫌になっちゃった」という人は、心の底に恐怖と憎しみを持っている。

それがうつ病者である。