神経症的な人は無念さが、人々への恨みにまで発展する
ある課長がある企画を立てたとする。
その企画を実行しようとしたが、なかなかうまくいかない。
周囲の協力もなかなか得られない。その時の反応は、課長によって違う。
ある課長は、時を待ち、静かに根回しを始めるかもしれない。
それはその企画の実現に興味を抱いている課長である。
仕事が毎日面白いと感じて、満足している。
しかしその企画の実現でエリートコースに乗ろうとか、
奥さんの尊敬を得ようとか、自分より出世している昔の友人を
見返してやろうとか、そんな野心のある課長は、
その企画の挫折に怒るだろう。
そしてそれをつぶした人や、協力しなかった人達を恨むに違いない。
そして「あいつを許せない」と思う。
そして自分が思うばかりでなく、同じ「許せない」という感情を
周囲の人にも持つことを要求する。
出世に執着していればいるほど、その課長の怒りや恨みは深いものになる。
会社に自分を認めさせようとする気持ちが強ければ強いほど、
企画の挫折は心に打撃となる。
同僚に一緒に「凄い!」と言ってもらいたいという気持ちが強ければ
強いほど、恨みも深い。
そして家に帰って奥さんに、「会社なんて頭の悪い奴ばかりだ」と
会社の悪口を言うだろう。
もし奥さんがこの言葉に賛成しなければ、そこでもまた怒らなければならない。
そのようなことがたび重なれば、今度は奥さんを恨む。
恨みは根雪のようなものである。
新雪が溶けないうちに次の雪が降り、積もり積もって恨みになる。
こういう人はあっちでもこっちでも人を恨まなければならない。
だから年をとり、死を前にして、安らかな気持ちでいられないのである。