自然な時間は生きる土台をつくる

時間のなかには、睡眠でもなければ、運動をしているわけではない。
リラックスの時間でもなければ、食事の時間でもない、そういう時間がある。
人間がよりよく生きていくためには、そういう時間が大切である。

なんだか分からないけれど、ダラダラと過ぎていく時間がある。
リラックスしようと意識的に過ごす時間ではない。運動もしていないし、仕事もしていない。

この分類できないダラダラとわけもなく過ぎていく時間が案外と大切なのである。
うつ病になるような人は、寝るとなったら、意地でも寝なければ気がすまない。
ただそこにいるという時間がもてない。

仕事もしていないし、勉強もしていないし、健康に寄与することもしていない。
合理的ではない時間である。

この自然な時間をうつ病になるような人は、ムダな時間と考えるが、これこそが
仕事や運動、あるいは休養の土台となる時間なのである。

ムダというよりも、これが生きることの基礎になっている。
うつ病になるような人は、この基礎がないから生きることに焦るのだろう。

スケジュールがビッシリと詰まっているのが何かすごいことのように感じているが、
決してそんなことはない。

ムダのない一日が効率的なように思っているが、それが落とし穴になっている。