不安な人は変化を恐れて現状にしがみつく

日常生活そのものが依存症そのものになっている人がいる。
おもしろくないけれども会社を辞められない。

アルコール依存症の人が、アルコールが好きではないのに
止められないのと同じである。

変化を受け入れることで心の葛藤が解決する場合もあるのに、
変化を拒否する。

今のような変化の時代には、変化を拒否することが、心の底では
時代におくれをとるという感覚をもたらす。

それが妬みとなって現れてくることもある。
こうして心に深刻な葛藤を抱え込んでしまう。

失敗を恐れないで、したいことはしてみる。
たとえ失敗してもそのほうが自己実現の充足感はある。

自分の人生を人に見せるための人生ではないと思ったときに、不安は消える。
不安が消えるのは、例えば失敗を恐れなくなるから、不安回避の
消極的方法はとらなくなるからである。

会社にしがみつくのも不安回避の消極的方法である。
そうなれば世間体を気にしてリストラを恐れることになる。

また、人に見せるための栄光を求めて生活の範囲を広げようとすれば不安になる。
人に見せるための栄光を求めなければ不安はなくなる。

人は一瞬の栄光を求めてすべてを失うことがある。
お金で幸せを買っている生活も、認識が歪み活動領域が縮小するから
不安が伴うであろう。

形の上で活動領域は広がってるようでも、心は同じ。

今日10万円使う。明日も10万円使う。
すると「あさって9万円になったらどうしよう」とお金持ちは不安になる。

お金で幸せを買う生活をしてきた人は、どんなにお金を持っていても、
老後の不安は解消されない。

例えば不安回避の消極的方法として、つっぱって生きてきた。
誘ってフラられるのが怖いから、「あんな奴」と言ってきた。

若い頃から、傷を正面から受け取っていない。
傷つくことから逃げて生きてきた。

逃げた生き方では、意識の上では心の傷は乗り越えたと思っているけれども
無意識の中で傷は残っている。

ある人は、不安回避の方法として哀れみを売って生きている。
ある人は、人を巻き込んで不安を解消しようとする。

例えば、常に人に「~をやってあげている」とか、
「これをしてあげたから」と暗黙に感謝を要求する。

そうであれば、いつも人の気持ちを失う不安がある。