楽しく生きていないので、助けてくれる人がこない

その人といても楽しくない人と、いつも一緒にいた。
その人とこんなことをしていても、ちっとも楽しくない。

そういう人といることで、いつの間にか、この人といても楽しくない
という感じ方すらできなくなった。

本当はあの人と遊んでいたいと思う。でもその意識を無意識に追いやる。
それで一緒にいても楽しくない人と、楽しそうな仮面を被って一緒にいる。

本当はその人といたくないのに一緒にいるうちに、自分が誰と
一緒にいたいのかも分からなくなる。

本当はまだあの子と、どろんこ遊びをしていたい。
しかしお母さんやお父さんに良い子を演じながら、「よい友達」と一緒にいる。
あるいは「立派な人」と一緒にいる。

この年月の積み重ねで、楽しいという感覚を失った。
この楽しいという体験こそ人生の土台である。
うつ病者には、その土台がない。

うつ病者は夢中になって何かに参加したことがない。
無理しているから疲れる。リラックスして話していることがない。

真剣に話すことがなかった。人との会話がなかった。
興味のある話に参加した経験がない。興味のない話は疲れる。
興味のあるフリをしているから疲れる。

小さい頃から楽しいという体験があるのとないのとでは、日常生活の感覚が違う。
楽しいという体験があり、楽しむ能力のある人の生活は、ゆとりがある。
急かされていない。
今日を楽しく生きていれば、人が助けてくれる。ときには仕事もくる。

しかしうつ病になるような人は楽しく生きていないので、助けてくれる人がこない。
楽しい事を達成すると、その上の期待ができる。

うつ病者を悩ませた非現実的なほど高い期待は、万一達成されても焦りしかない。