カウンセリング

神経症者は基本的に人が嫌いである

2019.04.17

人とお茶を飲むのも神経症者には大変なことである

家を幸せな場所にしようという努力は、家族のためでもあるが、
自分のためでもある。しかしその努力をしない人がいる。

「他人のために生きる」ということと、「自分のために生きる」と
いうことが矛盾している人が神経症者である。

神経症やうつ病など心が病んでくると、「他人のために生きる」と
いうことと、自己犠牲とが同じことになってしまう。

本人は自己犠牲のつもりであるが、他人にとってその人の言動は
耐えられないほど嫌なものであることがある。

それは敵意や憎しみが自己犠牲という仮面を被って登場してきているからである。
心を病むと、自分が問題を抱えていても、それを解決しようとは思わない。

解決するというような積極的な動機が全くない。
そして他人を巻き込んで自分の心の葛藤を解決しようとする。

その他人を巻き込む巻き込み方が、愛とか正義とかいう仮面を被って、
他人の心の中にずかずかと踏み込んでくるやり方なのである。

神経症者の場合、あなたのためという口実で、自分の憎しみを晴らしている。
心理的健康な人が言う「他人のために生きる」というのは、自己犠牲ではない。
自己実現である。それは他人のためであり、同時に自分のためである。

嫌いな人に何かをするということは犠牲である。
好きな人に何かをするのであれば、それは犠牲ではない。喜びである。

同じ事をしても嫌いな人のときは犠牲と感じ、好きな人のときには喜びとなる。
神経症者が何かあると被害を強調するのは、神経症者が基本的に人が嫌いだからである。

人とお茶を飲むのも、心理的健康な人には楽しいことであるが、
神経症者には大変なことである。

同じ事をしていても人を嫌いな神経症者と人を好きな人では
犠牲と楽しさの違いがある。

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