ナルシシストには他人が存在しない
ナルシシストの人間が部下の努力を正当に評価するなどということは
あり得ない。
十の仕事のうち九まで部下がやっても、自分が九をやって
部下は一しかやらないとしか考えられない。
彼にとって存在するのは、自分の自我だけなのである。
ナルシシズムはこのようなあらわれ方ばかりでない。
例えば、大変謙遜な態度をとったりする。
それは本当に謙遜なわけではなく、謙遜している自分を見て、
自分が自分を礼讃しているのである。
あくまでも自分と他人に見せるための謙遜であるが、
言動そのものは謙遜である。
自分の部下が自分は部長だと知っているがゆえに謙遜な言動をするので、
見知らぬ人の間にいけば、「自分は部長だぞ」と尊大な態度になる。
謙遜な態度をとるにしろ、尊大な態度をとるにしろ、他人は常に
自分を賞讃するための手段でしかない。
他人の言うことなど本気で聞いていない。
ただ自分の言動に対して反応することにおいてのみ他人は意味をもつ。
親切をする時もある。しかしこれもあくまで自己賞讃のための親切である。
従って、謙遜にしろ、親切にしろ、わざとらしさがある。
このわざとらしさを感じ取れる能力が部下にあればよいけれど、
新入社員などは、このわざとらしさが新鮮に見えたりして、
さんざん献身したあげく全く自分の努力を評価してもらえない、
などということがある。
本当に謙遜な人と、自分の謙遜な態度を見るのを自分が好きな人とでは、
大違いである。