どんな失敗の中にも心理的には学ぶものがある
くだらない競争はやめることである。
神経症的な人間にとって、競わずということは難しい。
競争意識ばかり強くていつも張り合っているくせに、本当に自分が試されるような機会は避けたがる。
他人が気になって仕方がないというのも、競争意識があるからであろう。
例えば、あの人は結婚しただろうか、あの人は会社でうまくやっているのだろうか、
あの人は転職したがそこでうまくやっているだろうかなどと他人のことを気にする。
それも、「どうかうまくいくように」と幸せを祈る気持ちならよいが、張り合う気持ちからなのである。
大変だ、大変だと騒いで人の注目を集めようとしないことである。
失敗したり、損をした時、失敗した、損をしたと騒いでみてもその損害を取り戻せるものではない。
それよりも、得失を分けた自分の心の弱点を見つめることである。
どんな失敗の中にも心理的には学ぶものがある。
自分の物の見方の歪み、自分の視野の狭さ、自分の自惚れなどの反省の機会を得ることができるのが失敗である。
失敗を受け入れられない者は、失敗から何も学ぶことはできない。
損をしても、そこから学べばそれは授業料になる。しかし、何も学べなければ、それは授業料にもならない。
世の中は甘くないといって引きこもり、行動半径を狭くしていくのでは、
その失敗がますます大きな不幸への引き金になるだけのことである。
世の中はそんなに甘くないというだけの教訓は、人生に否定的な役割しか果たさないのではないだろうか。
それよりも、自分の世の中の見方のどこが間違っていたのかという冷静な受け止め方が必要なのである。