相手は、いつも自分と一緒にいたがっているわけではない

何となく自由でない。いつも何か干渉されているようで、
自由にできないと訴える人がいるが、そんな人は、自分自身が、
相手を支配しよう、所有しよう、束縛しようとしているのである。

そして、案外自分が相手を監視し、干渉していることに気がついていない。
相手の自由を許していないのは、自分なのだということに気づいていない。

相手は、自分の自由を許しているのに、自分は相手の自由を許していない。
そのことが、自分の気持ちを不自由にしているのである。

自分が心理的に相手に依存し、相手を束縛しようとしている。
ところが、自分が相手にそのようにしがみついているということに気がついていない。

相手は、いつも自分と一緒にいたがっているわけではない。
ところが、自分のほうは、一人で何もできなくて、いつも相手と一緒にいたがっている。

それでいながら、この自分自身の依存心に気がつかない。
相手が、いつも自分と一緒にいたがっているような気持ちになる。

その結果、何も一人で自由にできなくなる。
自由に一人でどこかに出かけたり、他の友人と楽しく遊びに行けなくなる。

こうなると、「お前に束縛されている」となって不満になる。
その不満をまたストレートにぶつけられなくて不機嫌になる。

相手といると気づまりなのだけど、どうすることもできない。
不機嫌の引き金になるのは身近な人である。

不機嫌とは自閉性なのである。
相手に心理的に依存し、相手を所有しようとし、相手に支配的になりながらも、
それを抑圧し、逆に自分が束縛されているような気持ちになる。

かといって、その束縛感を払いのけて、その人のそばを離れるという
わけにはいかない。なぜなら、その人を必要としているのは、束縛感を覚えている心そのものだからである。