慕う気持ちと不信感の葛藤は不安神経症の基礎となる

人間は母に愛されてなくても母を慕う。
母に愛されたいと望むから、ついつい母をそのように愛のある人間と理想化しがちである。
しかしそれにもかかわらず、心の底をのぞき込んでみればやはりその母を信用してはいない。

母への不信感を心の底にこびりつけながら母を慕う。
自分の心の底にある母への不信感に気がついていない不安神経者もいよう。

母を慕う気持ちがあまりに強いので母への不信感が抑圧されることもあろう。
しかし母への葛藤があることは確かである。

慕う気持ちと不信感の葛藤は不安神経症の基礎となり、他者と親密になる能力を害する。
一方で不信感を抱きつつ、他方で慕うという葛藤が解決できて、はじめて心は健康になるのであろう。

ことに男の子は母を必要とする。
それだけに自分を本質的に拒絶している母をいつまでも慕うことになりやすい。

本質的に拒絶されるとは、「男の子っていうのはしょうがないもんだよ」
というとらえ方を決してしてもらえず、常に生きた感情を抹殺することに
よってしか保護されなかった、という意味である。

「この子は本当にいい子で」と言われた時は完全に自分自身の感情を喪失して
自分の内面は完全に空洞化している。

そんな時、子供は親に本質的に拒絶されているのである。
自分の生命力を犠牲にした上で親の支配欲に身を捧げた時、親は喜んで「この子は素直だ」と言う。

そんな愛され方をした子供がいる。
何一つ自分自身の反応を許されず、何一つ自分の内面を理解してもらえず、それでもなお男の子は母を慕う。

だがやはり、他方では自分の母は自分を拒絶しているということを
心の底では気づいている。しかし恐ろしくてそれを意識できないことも多い。

母親からの拒絶を客観的事実として受け入れられるかどうかに、不安神経症はかかっている。

不安神経症になるような人間は、ついつい、いつかきっと母親は自分のことを
理解してくれるとか、母親ももしあのような環境にいなければ、もっともっと
自分にやさしくできたのに、とか期待や希望をもってしまう。