憂鬱になることで周囲の世界に復讐している
うつ病になるような人は心底、認めてもらいたい。
今まで自らの存在を、自分が望むだけ認めてもらったことがない。
相手に役に立った時だけ認められた。相手に都合が良い時だけ認められた。
役割を果たさない時には認めてもらえなかった。
相手にとって都合が悪くなれば拒否された。
役割を果たした時だけ認められても、心は本当には満たされない。
甘えの欲求のような基本的な欲求は、幼児のように愛されないと満たされない。
役割を果たした時だけ認められて、その場のその時だけは満足する。
しかし、それはあくまでもその時だけ、その場だけの満足である。
その時だけが繰り返されているうちに、認められたいという願望は強迫性を帯びてくる。
つまり見境もなくなり、満足することがなくなる。
どんなに認められても、もっと認められたい。
どんなに尊敬されても、もっと尊敬されたい。
それは幼い頃、甘えの欲求が全く満たされなかった人の悲劇である。
そう考えるとうつ病者というのが、いかにもの凄い怒りを隠しているかということが分かる。
うつ病者は自分の将来を悲観する。自分自身を悲観する。
自分の失敗を過大視する。自分の成功を過小評価する。
しかし根源にある問題は、心の底にある満たされない愛情欲求からくる攻撃性である。憎しみである。
何故うつ病者は不満に執着して、憂鬱な顔をしているのか?
それは、憂鬱になることで周囲の世界に復讐しているからである。
憂鬱にならなくなったら、うつ病者は周囲に復讐する手段がなくなる。
だから決して憂鬱な顔を手放すわけにはいかない。
うつ病者がどうしても明るく前向きになれないのは、悔しいからである。
復讐したいからである。
怒りと憎しみは、本当は誰に向いているのか?
そこをはっきりさせる勇気が、立ち直るためには不可欠である。
何かするのが面倒くさいと言う。しかしそれは嘘。
自分の気持ちを深く考えるのが嫌だからである。
あるいは、自分の本当の気持ちに気がつくのが恐ろしいからである。