人生の修羅場を逃げてひたすらに仕事で頑張った

仕事で頑張る、努力する、それらのことが人生の諸問題を
解決してくれるわけではない。

燃え尽き症候群の人々はそれがわからなかった。人生がどこかでおかしくなりだしている
ことを、燃え尽き症候群の人々も知っていた。

なぜか家庭生活が楽しくないと感じ始めていた。家にいると何か息苦しいと感じていた。

職場も何となく圧迫感があった。
どこかおかしい、おかしいと思いつつも、その原因に直面することを避けた。

そしてどこかおかしいと思いながらも、おかしくなればなるほど
仕事に逃げていった。

仕事で頑張れば解決できるとますます努力した。
しかし残念ながらいよいよ人生はおかしくなっていった。

燃え尽き症候群の人々は人生の修羅場を逃げて努力したのである。
人生の修羅場を逃げてひたすらに仕事で頑張った。

自分の内面の弱点に直面しようとは思わなかった。
奥さんと自分との間の根本の問題に触れようとはしなかった。

なぜ自分達はこんなにギスギスとしてきてしまったのであろうかと、
正面から話し合うことをしなかった。

ことさらに大喧嘩をするような大問題がないので、
関係がおかしくなりだしていることに目をつむってしまった。

うまくいっているふりをすることは、その場を収めるのに都合よかった、
しかしその「ツケ」はきちんと回ってくる。

子供が何歳になっても心理的に大人になれないいわゆるピ-ターパンに
なるというような形で「ツケ」は回ってくる。

燃え尽き症候群の人々は、何もしない一日に焦るが、何もしない日々が
あったからこそ、最終的な挫折は避けられたと考えてもよいのである。

一日ではなく、ある時期全く仕事ができないでそれ以外のことに
時間を取られたとしても、そのような時期があったからこそ、
燃え尽きないで助かったのかもしれない。

仕事のことだけを考えればどうしても仕事をしなければならない重要な
時期というのがある。それでも仕事以外のことに時間を費やして、
仕事の成果を捨てることが人生にとって大切なこともある。

仕事をしたいときに仕事ができなければ気持ちは落ち着かない。
しかし長い人生を考えてみれば、やはり仕事の成果以上に大切なことはある。

仕事で頑張ることは大切である。しかしそれが人生で唯一の大切なことではない。