どうして自己嫌悪に陥るのか
よく自己嫌悪に陥る人がいる。
特に精神的に不安定な時期などは猛烈な自己嫌悪に陥ったりする。
自分を見つめて、自分が自分勝手な行動しかとれないということに
気がつきはじめて、猛烈な自己嫌悪に陥るのである。
一般的に社会には、人間は利己的な行動をとってはならないという
人間としての理想像があって、その理想像と照らし合わせ、
自分を反省して、激しく自己嫌悪に陥ったりする。
それと同時に、それと同じ眼で周囲の人間を見て、それらの人達に
これまた厳しい批判の眼を向けるのである。
その結果、自分もイヤ、他人もイヤ、ということになる。
何もかもイヤになるのである。
そうした時、ふと自分は正義感が強すぎるのではないだろうか、
などと見当違いなことを考えたりする。
こんなに正義感が強くなければ自分もイヤにならないだろうし、
他人もイヤにならないだろうと考えたりするのである。
しかし、それは正義感が強いのではなく、情緒的に不安定だというにすぎない。
虚栄心が強くあってはならない、利己的であってはならない、
嫉妬深くあってはならない、勇敢でなければならない、そういった完全主義と
照らしあわせて自分や他人を批判していたら、どうにもならなくなる。
しかし考えてみると、人間は誰しもこういうものを持って生まれてきたものであり、
それを責められてもどうしようもないし、またそうしたことをもって自分を責めたり
他人を責めたりするのは不必要なことであり、愚かなことでしかない。
それは人間にある種共通したものであり、何も自分が悪いというわけではないし、
それをもっている周りの人が悪いということでもない。
そうしたものが自分の中にあるということを認め、受け入れ、そのうえで
自分のエネルギーというものを生産的に使っていくならば、
いつかそうしたものから抜け出せることができるのであろう。
自己嫌悪に陥ったり、青くさく他人を批判している人は、
自分がやれるだけのことをやっていない人である。