何も達成することなく過ぎていく時間が、その人を焦らせる

人間の過ごす時間で無駄な時間などない。
熟睡できるのも一つの体験だし、寝つけないのもまた一つの体験である。

それはそれで、そういう時間の過ごし方なのである。
すまさなければならない仕事がたくさんある時や、うまく事が
すまない時など焦る。

しかし考えてみれば、その仕事ができないからといって殺されるわけでもない。
なぜ焦るかといえば、その仕事をきちんとすまさなければ、ある人に
「あいつはあまり有能でない」と評価されるのが怖いからではないだろうか。

何かを達成している時だけが意味のある時間であると、焦る人は感じる。
それもおそらく何かを達成すれば、それは自分にも周囲の人にも
よく見えるからであろう。

焦っている人の育ってきた環境としては、きわめて業績志向の環境
だったのではないだろうか。

何も達成することなく過ぎていく時間が、その人を焦らせるのである。
何だか知らないけれど、何もしないであたふたしているうちに、一日が
終ってしまったなどというのが、その人を焦らせるのである。

行き過ぎた業績志向、つまり業績をあげることだけが意味となってしまっている
雰囲気、それは人々の心を色々な点から病ませることになる。

うつ病者を生みだし易い家庭の雰囲気がそうである。

劣等感は所属感の欠如から生まれるという。
そしてこの所属感の欠如をもたらすのが、行き過ぎた業績志向である。

業績をあげた人だけが、その集団に属するに値するという姿勢である。
もともとそのような業績志向は、家庭の本来のあり方ではない。

それにもかかわらず親の中には、そうした点で子供の家への所属感をそこない、
子供に劣等感をもたせてしまう人もいる。