認めてほしいという欲求

生きることに疲れた人は、人に認めてもらおうと無理をして
頑張りすぎたのである。

人は、周囲の人から認めてもらいたいという欲求の強さで生き方を間違える。
認めてもらいたいという欲求は、幼児期に愛されなかった人間には
想像を絶するほど強いものがある。

普通の子供でも、何よりも望んでいるのは思いやりではない。
自分のしたことを認めて欲しいのである。

例えば子供が母親に、「お母さん、荷物が重いでしょ。
一緒にお使いに行ってあげる」と言ったとする。

母親は子供が遊びたいのに、お使いに連れて行くのは可哀想だと思って、
「いいわよ、お母さん一人で行くから」と言った。

ところが子供は不愉快そうな顔をした。
母親は子供が遊びたいだろうと思って、「いいわよ、お母さん一人で行くから」
と言ったのである。

それなのに子供はふてくされた。母親はどまどった。
子供は母親の役に立ち、認められたかったのである。

お使いに行って、母親から、「助かったわー」と言ってもらいたかった。
そういう感謝の言葉を言ってもらえることが嬉しいのである。

子供は、「お使いに行ってあげる」という自分の気持ちを感謝してもらいたかった。
ところが母親は「自分一人でいい」と言った。

子供は役に立つ機会を失った上に、母親から感謝をしてもらえないし、
お使いに行くことで認めてもらおうとしたが、それもできなくなった。

子供がおもしろくない顔をするのは当たり前なのである。
子供は親に何かをしてもらうことはたしかに嬉しい。

保護を求めているし、世話をしてもらいたい。
しかし、それ以上に求めているものが「自分のしたことを認めてほしい」
ということである。