何が喜びであるかは、その人によって異なる

子供を育てることに喜びを感じることができる人は、
与えることに喜びを感じることができるまでに心理的に成長した人である。

愛する能力を持っている人といえる。
そのように心理的に成長した人にとって、
子供は自分に喜びを与えてくれる存在となる。

愛する能力を持った人にとって、子供を育てることは、生きることと同義である。

一方、心理的に成長していなくて、愛されること、与えられることばかり
要求する人にとって、子育ては苦痛でしかない。

心理的成長に失敗した人にとって、子育ては苦痛である。
愛する能力が破壊されている人にとって、子供を育てるための苦労は、
苦痛でしかない。

それは喜びも人生の意味をもたらさない。
苦労は苦労でしかない。

同じ自分の子供でも、ある人にとっては、自分に喜びを与えてくれる存在であり、
別の人にとっては、自分を苦しめる存在となる。

要するに、子供を持つことは、ある人にとっては苦しみの体験であり、
別の人にとっては喜びの体験である。

与えることが喜びになる前に親になってしまった人もいる。
けれども、情緒的に未成熟な親にとっては、子供を産むことは
悩み始めることでしかない。

そして、子供のほうも幸せにはなれない。
子供もまた不幸である。

このような場合に、子供の心は病んでいく。
子育てでノイローゼになる人は、多い。

しかし、子供がいることで生きる喜びを感じている人もまた多い。
子供がいることが幸せでもなければ、子供がいないことが幸せでもない。

その体験にふさわしい心理的成長をしているかいないかに、幸不幸はかかっている。