不幸という名の電車は、幼児期から走っている

愛されて育った子供と、親を喜ばすことに必死だった子供とでは、
生きてきた世界が違う。

例えば母親が料理を作ってくれた。
親を喜ばすことに必死だった子供は体調が悪くても、出された料理を全部食べようとする。
良い子は人の期待に応えることで好意を得ようとしているのだから。

そして吐いたとする。母親は「何で吐くの?」と責める口調で言う。
それが愛を知らない子供の世界である。
不幸という名の電車は、幼児期から走っているのである。

しかし、他の家に行って、料理を作った人が「え、好きじゃないの?残してもいいわよ」
と言ったとする。その良い子は驚く。「えっ、こんな世界があるの?」思うからである。

作ってくれた料理を残しても嫌われない、それは知らない世界だった。
しかしそれは安らぎの世界だった。

人の期待に応えなくてもいいのだということを知っているのが、愛されて育った子供である。
人の期待に応えなくても自分は拒否されないと、愛されて育った子供は感じている。

嫌いなものを嫌いと言っても拒否されないという安らぎの世界で、子供は心理的に成長する。