同情を求めて自分の哀れさを延々という
夫に愛人ができて離婚された奥さん。
自己憐憫に陥っている。
愛人の話をした後、彼女は続けて「私は慰謝料を一銭ももらってこなかった」と
付け加える。
彼女は「私は慰謝料を一銭ももらってこなかった」と、何回も言うことで、
自分がいかに無欲で理想の人間であるかを強調する。
彼女は他人に向かって、自分の哀れさを訴え続けているのである。
「別れるときにはきちんと慰謝料をもらいなさい」と知人が言うと
「私は財産は欲しくないけど、将来が不安。いろんなことに疲れた」と言う。
自己憐憫する人は、自分の人生がどこで間違っているかが理解できていない。
彼女に必要なことは、人生に対する態度を逆転させることである。
つまり正当な権利を要求して不安になることをやめる。
彼女は、自分は控え目な理想の女性であると主張しながらも、哀れさを
誇張することは忘れない。
幼い頃からの愛に恵まれない過去の体験に引きずられて、自分は多くを
望めないと一人で決め込んでいる。
そして、自分の人生を大切にするということを学んでいない。
誰も彼女に「自分の人生を大切にしなさい」と教えていない。
彼女はみんなの同情を求めて自分の哀れさを延々という。
彼女は自分のことを口にし過ぎる。
自己憐憫に陥っている証拠である。
彼女はいつまでも自分の哀れさを言うだけで、これから自分がどうしようかと
いうことを言わない。
自己憐憫する人は、この女性のように哀れさを訴えていれば何とかなると考えている。
こういう人達は、そうしていれば誰かが自分を愛し保護してくれると思っている。
受け身なのである。
自分の力でこの人生を切り拓いていこうとする意欲に欠ける。
幼い頃から、自分が自分であることを否定する人々と、
戦い続けて力尽きたということである。
自己憐憫は最後の見えない抵抗なのである。