押さえ込まれた感情は、人を無気力にしていく

幼児的願望を持っている人は、すべての人を意のままにしたい。
すべての人に対して甘えがある。

そして、自分の意のままにならない人に敵意を持つ。
したがって、心理的に病んでいるということは、すべての人に
敵意があるということである。

ところが、この敵意を表現できない。
それは周囲の人から愛情が欲しいからである。
周囲の人からチヤホヤされたいからである。

そこで、自分の中に憎しみの感情を閉じ込めてしまう。
そして、憎しみを自分の中に閉じ込めた結果、憂鬱になる。

それが積もり積もって何をする気にもならない。
何をするのも億劫になる、無気力になる。

幼児的願望を持っている人は、誰でも彼でもすべての人に好かれたい。
すべての人にチヤホヤされたい。

「この人」に誉められたいわけではない。
ところが、多くの場合、人から誉められないし、好かれないし、
認めてもらえない。そこですべての人に心の底で恨みを持つ。

そして、その嫌いという感情を、お前が嫌いだというように
直接人に向けられない。憎しみの感情を表現できない。

表現するときには屈折した形で表す。例えば何かものに向ける。
人に対する嫌いという感情を、ものが嫌いだということに置き換えるのである。

心理的に健康な夫が会社から帰ってくる。夕食になる。スープを飲む。
そして「今日は会社でいろいろイヤなことがあった」と愚痴を言う。
スープがおいしければ「おいしい」という。スープにイライラを向けない。

心理的に病んでいる夫が会社から帰ってくる。
「今日は会社でイヤなことがあった」と言わない。

そして「スープがおいしくない」とスープに文句を言う。
妻に対するイライラをスープに向ける。

だから、どんなにスープをおいしくつくっても、奥さんは文句を言われる。
妻に対する不愉快な感情を、料理を通してしか表現できないからである。

怒りを向けやすい場所に向ける、それすらできない夫も多い。
だから、押さえ込まれた感情がその人を無気力にしていくのである。