本気で愛を求めると自分を恥じる気持ちが消える方向に向く
栄光は不安から人を救わないが、愛は不安から人を救う。
栄光は人に安心を与えないが、愛は人に安心を与える。
神経症的になってしまった人、神経症的自尊心を持ち続けて
ただぶらぶらしている人は、親から真の愛が与えられなかったので、
その代わりに栄光を求めた。
しかし、こだわるべきは、栄光ではなく、愛だったのである。
与えられなかった愛にこだわるべきだった。
得られなかった愛を得ようと、そのことにこだわるべきだった。
親だけが愛を与えるわけではない。
神経症的な人は、本気で愛を求めてはいない。
本気で愛を求めると、その人に何が起きるか。
自分を恥じる気持ちが消える方向に向く。
自分を恥じる気持ちは、そう簡単に消えるものではない。
しつこく残る。
これでもかこれでもかと、その人にしつこくつきまとう。
しかし本気で愛を求めれば、とにかく自分を恥じる気持ちから
離れる方向に向く。
神経症的な人は、自分を恥じる気持ちがありながら、それを隠す。
自分を恥ずべき存在であるという劣等意識から逃れるために、
人は栄光をついつい求めてしまう。
そして自分は恥ずべき存在であるという気持ちがあまりにも苦しいため、
栄光にしがみつく。
栄光にしがみつくといっても、実際に栄光が与えられるわけではない。
想像のなかの自己栄光化である。
想像の中で栄光化された自己像にしがみつくということである。