自分は愛されるべき人間である

心理的に病んだ人々は執着の激しさを愛情の激しさと錯覚する。
心理的に病んでいる人は不安から相手にしがみつく。

そのしがみつきの激しさを愛情の激しさと錯覚するのである。
彼らが愛情の激しさと思っているものは不安の激しさにすぎない。

自分がこんなにもあなたを必要としているということを、
自分はこんなにもあなたを愛していると思い込んでいるのである。

心理的成長に失敗したピーターパン、大人になれない大人も相手に執着するという。
彼らも不安だからである。彼らを生み出す家庭の両親は密かに憎みあっているという。

両親の関係がうまくいっていないと、子供は不安である。
しがみつくものがない。

親にしがみつけないから親以外の恋人にしがみつくのである。
親が親の役割を果たさない時、子供は親の役割を恋人に求めてしまう。

神経症の男性は相手の女性に母親を求めている。
ということはその女性から保護と安全を求めるばかりでなく、
賞賛を求めているということである。

彼らは一方的に女性から愛されることを求めている。
その女性に心理的に依存している。その女性なしでは生きていられない。

そこで賞賛と同時に恐怖も抱いている。
そして賞賛されないと恐怖を抱きつつ不満を持つようになる。

この幼稚な男性からすれば、恋人は母親であるから、自分が恋人から
十分に愛されないということばかりが不満になる。

自分が相手を愛するということはまったく考えない。
自分は愛されるべき人間で、相手は愛する人間である。

この神経症的男性の愛は女性にとって迷惑な話である。
男性が勝手に自分の親の心像を恋人の女性に転移してしまうのだから。

彼は親を恐れているから、恋人を恐れる必要がないのに恋人を恐れる。
相手の女性からすれば、優しい気持ちでいるのに恐れられることになる。