怒りの感情がコントロールできる

職場などでいやな人間に気を奪われてしまう人がいる。
自分の部下のなかの一人のひねくれた部下に自分の気を
奪われてしまう上司は、会社を背負う幹部社員にはなれない。

現実にはどこに行っても素直でない人はいる。
どこに行っても虚勢を張っている人はいる。

逆にどこへ行っても素直な人はいるし、虚勢を張らずに
落ち着いて自信のある人もいる。

おそらく自分の部下にも素直な部下もいるし、素直でない部下もいる。
そんなときにその素直でない部下に自分の注意が集中して、
いつもイライラしていては多くの部下を指導していかれない。

その素直でない部下に対する感情に自分自身を
支配されてしまうようでは、上司として失格である。

素直な部下にも意識がいっていないといけない。
自我が確立していない上司は、素直でない部下に対する気持ち、
つまり怒りや失望という感情に、自分の気持ちを支配されてしまう。

自我が確立した上司は、その怒りの感情をコントロールできる。
怒りの感情をコントロールできるということは、その部下に
自分の注意が集中しないということである。

自我の確立とは感情のコントロールができるということである。

素直でない部下、神経症的部下、それらに出会ったときに、
「この部下を背負うことで自分の人間としての幅ができる」と
受け取る人もいる。

その反抗的な部下を自分の宿命と受け止め、
これによって自分はさらに大きな人間になるのだと部下に
立ち向かえる上司がリーダーとしての器なのである。

困難も挫折もないビジネス生活を生きて、それで幅のある人間になろうと
することがおかしいのである。

人は背負うべきものを背負ってはじめて大器になる。