子供の心とふれあっていない

「母親が心理的におかしかったから私は心理的に病んでしまった」と
言う人がいる。つまり両親の一方を非難する子供がいる。

自分の心理的病の原因を、両親のどちらかに帰する。
そういう場合には、ほぼ次のような心理的過程を経ている。

例えば、まず父親が心のふれあわない人である。
母親は色々と心に問題を抱えている。例えば神経症者である。

そこで、その子は直接には母親との関係で心理的に病む。
ところが、その子本人が心のふれあわない人に成長しているから、
父親が心のふれあいをもてない人であるということを体験していない。

そこで「父親はいいのですけど、、」という言い方をする。
つまり、両親の一方に憎しみをもっている人の場合、
もう一人の親とも心がふれあっていない。

つまり、そういう人の場合、自分が育った二十年間なり、
三十年間なりの家庭生活はほとんど虚無に等しい。

こうした家族は世間に対して家族を装っている。
どちらの親も、子供の心とふれあっていない。

どちらの親も、自己中心的で子供より自分が大切で、子供の痛みには
関心がいかない。要するに子供に興味がない。

自分を招来世話してくれるとか、自分の虚栄心を満たしてくれるとか、
そのような形でしか子供には興味がない。子供自身には何の興味もない。

両親のどちらか一方でも子供の心を理解することができれば、
子供は心理的におかしくならなくてすむ。

つまり、子供がおかしくなる時には、たいてい両親共に心理的に
問題を抱えている。

「おかしくならない」とは、子供が、明るい人、感情表現のできる人、
不自然な行動がない人、自分で何かを楽しめる人などになるという意味である。

子供が心理的に病んでいる多くの場合は、たいてい両親共に形は違うが、
子供の心を理解していない。

子供の心を理解していないとは、「この子は去年はこうしていたのに、、」とか
「ケーキを食べながらこんなことを言ってたなー」という思い出がないということである。

子供の心を理解しているとは、子供がケーキを食べているのを見て、
そうしたことを思いつつ、子供に「おいしい?」と聞くと、子供が「ウン」と言う。

そのような関係を保っているということである。
子供を理解している時と、理解していない時では、親のまなざしが違う。