生きるエネルギーがなくなれば、嫉妬心は強くなる
心が弱くなると、どんどん人が重要になり、どんどん体裁が
大切になり、どんどん人に認められたくなる。
ますます自分の主張はできなくなる。愛する能力もなくなる。
モラルハラスメントほど心の自立を妨げるものはないだろう。
心は自立できないけれども、社会的には自立しなければ生きていけない。
その葛藤で社会的に挫折する人は多い。
職場の人間関係も、夫婦関係も恋愛関係も、どのような人間関係であれ、
大人になれば心の自立を必要とする。
幼い頃からモラルハラスメントされてくれば、心の自立はできない。
弱虫であるのもかかわらず、ますます虚栄心が強くなる。
怒りはますます激しくなる。しかし、人にしがみついてなければ生きていけない。
怒りを直接には表現できない。
そうなれば、そこにうずくまるしかなくなる。
ますますどうしていいか分からなくなる。
それは社会的に認められる年齢になりながら、ますます怒りの炎が心の中で
燃えさかるからである。
穏やかでおとなしい性格と社会的には見られるが、心は憎しみの塊になる。
怒りの炎が燃えさかる中で、悲しみの大雨が降っている。
パワハラのように怒りの対象がある時には、それが必ずしも心を弱くはさせない。
時に戦うことで、それがその人を鍛える。耐えることで心は強くなる。
しかし、モラルハラスメントのように怒りを向ける対象がない時には心は弱くなる。
美徳を守ることは情緒的に未成熟な人にとっては、辛いことである。
「男のくせに、そんなやきもちを妬いて」とモラルハラスメントされれば、
じっと我慢しなければならない。そのことでエネルギーを消耗する。
生きるエネルギーがなくなるから、ますます小さなことが大きなことに感じられる。
嫉妬するほどではないことがものすごく辛いことになる。
嫉妬すべきではないという規範意識に苦しめられる。
モラルハラスメントで「こんな大の大人が気にしているの」と責められる。
こうして意識できない怒りが、どんどん心の中にうっ積していく。
モラルハラスメントされたら元気ではいられない。
怒りの炎が燃えているのに怒りをぶつける対象がなくて、
じっと我慢していれば、エネルギーはなくなる。
最後には生きていてもしようがないと思えてくる。