何をするにも頑張らなければできなくなった

小さい頃から、真面目に従順に生きてきた。自分の意志で何かをしてこなかった。
そのうちに意志がなくなってしまった。そして社会にはうまく適応できた。

「やりたくない」「したくない」ことを、人から強いられていると、はじめのうちは
怒りや憎しみ、恨みが残る。

しかしそのうちに、それらが嫌いだったことが分からなくなってくる。
学校には行けた。卒業はできた。会社には入った。言われるままに仕事はした。

でも、いつからか何だか分からないけれども生きづらくなった。
何をしても楽しくなくなった。何をするにも億劫になった。

ある時点までは楽しかったことが、楽しくなくなった。興味もなくなった。
楽しいはずの旅行にも行きたくなくなった。楽しいはずの仲間との食事にも参加しなくなった。
楽しいはずなのに無理をしなければならなくなった。

リラックスするはずの散歩さえもが億劫になる。散歩に行くのも努力しなければ
ならなくなった。無理してようやく散歩に出かけられる。

何をするにも頑張らなければできなくなった。お風呂に入るのも、食事をするのも、
頑張らなければできなくなった。

朝から晩まで、何をするにも頑張らなければならなくなった。
やることなすこと全て嫌いなのに、嫌いと意識できないで長年にわたって続けていれば、
そうなってしまうのも当たり前だろう。

問題なのは、その嫌いなことに一生懸命になっていることである。
はたから見ていて成果がそれほど上がっていなくても、本人は一生懸命に努力しているのである。

そのうちに、頑張っても頑張っても、成果が上がらなくなる。そして辛くなる。
よく疲れがたまると言うが、こういう人達は無理がたまるのである。
その疲れも何かをしての疲れではなく、無理をしていることからくる疲れである。