いくら望んでも親は愛してくれない
親に可愛がってもらいたい、理解してもらいたい、
素直に認めてもらいたい、という願いをいつまでももっているということは
幼い頃、夜空を見上げて星が手に入らないかな~という願いを持ち続けて生きるのと同じである。
幼い頃なら、あの星をとりたい、という叶わぬ願いをもっていてもいいだろう。
しかし、二十歳になり、六十歳になっても、まだあの星をとりたいと
夜空を見上げているだけの人生はどうであろうか。
あの星をとりたいと願ったまま一生を終わるより、その年齢にふさわしい
願いをもち、自分のエネルギーを自分のできることにぶつけたほうがよいのではないだろうか。
夜空の美しい星は手に入らない、親は自分を認めてくれない、という
事実を受け入れることができないまま老人になってしまう人は案外多い。
愛されなければ愛されないほど人間は愛されたいと願う。愛に飢えた者は、愛にとらわれる。
それにもかかわらず、自分にとって重要な人間は自分を愛する能力を
もっていなかった、という事実を受け入れることは必要である。
よく愛は憎しみに変わるという。しかしそれは事実と違う。
愛はそう簡単に憎しみに変わるものではない。
愛しているように見えて、実はその人は無意識の領域において相手を憎んでいた。
恋愛においては、このように抑圧された憎しみはよく意識化される。
しかし、親との関係においては、これが恋愛よりはるかに難しい。
親に愛されたいという願望があまりにも人間にとって本質的だからである。
あまりにも強い欲求だから、親を理想化してその事態を乗り切ろうとするのである。
だがどんなに願っても叶わぬものは叶わないのである。
この事実を受け入れて成熟した大人になっていく以外に生きる道はない。