自己執着的な人の配慮は恨みを生じる
恨む人は、自分がその人のためにしたことの、自分の動機を理解していない。
動機は「相手のため」ではなく、「自分のため」なのである。
もし何かをしてあげるときに、「これは自分が感謝をされたいからするのだ」
とわかっていれば、期待した態度が返ってこなくても相手を恨まない。
相手にごちそうをするときに、「自分がチヤホヤされたいから」と
わかっていれば、みんながチヤホヤしてくれなくても相手を恨まない。
「面白くない」という気持ちは残るだろうが、おごってあげた人を
「あんなにごちそうしたのに」と恨むことはない。
取引先を接待するときなどは、「自分達のため」とわかっているから、
それほど恨みにはならない。
接待の効果がなかったと思うだけである。個人的な感情としての恨みつらみはない。
配慮は配慮でも相手のための配慮ではなく、自分が得するための配慮は、
恨みを生じる。得をしなければ恨む。
自分が得するための配慮とは気がついていないのだから。
自己執着的に人に配慮をしていると、本人は相手のためにしたつもりでも
ときにはお節介な人と思われる。好意は迷惑になる。
ある女性が好きな男性にプレゼントをした。すると彼はそれを母親にあげた。
それを知ったその女性は怒って、そのプレゼントを取り返しに行った。
これが自己執着的な人の配慮である。
自分は相手にプレゼントをしていると思っている。
しかしこれは相手を喜ばすためにプレゼントをしているのではない。
自分のためにプレゼントをしているのである。
だから自分が気に入らない使い方をすると、それを取り返そうとするのである。