罪の意識が相手への好意を失わせる

遠慮ばかりしていると、この人と一緒にいるよりも一人でいたほうが
気が楽だということになる。

するとその人に、ひそかに悪意を抱くようになる。
その人がこちらを嫌ったのではなく、その人に対するこちらの態度によって
その人への好意をなくしていったのである。

気がねをするということは、別の言葉で言うと「気がひける」と
いうことでもある。

気がひけるから自分のしたいことをしない。
自分がしないでおいて相手が嫌いになる。

神経症的な人は、相手との関係で自分の行動に罪の意識を持つ。
自分の主張をはっきりとしないで、遠慮して気がねして、気がひけて
それでいて後でその人に不満になる。

不満になるくらいなら初めにはっきりと自己主張すればいいのだが、
それができない。

不思議なことに、罪の意識が相手への好意を失わせる。
あまりにも理屈に合わないようであるが、人はやはり相手に対して
気がねするからこそ、相手を好きではなくなるということはある。

気がねや遠慮や罪の意識というのは、計り知れない力を持つ。
例えば殺人者を考えてみれば分かる。

自分が殺人を犯したということを知られたくない。
しかし、それを誰かが知ってしまった。

すると殺人を知った人は自分にとって都合の悪い存在となり、
その人も殺すとするであろう。

もしその人が自分の殺人を知らなければ、その人を好きであったかもしれないのに
自分の殺人を知ったが故に殺したい存在になる。

ここで言いたいのは、殺人までしなくても、人に知られたくないことを持つと
いうことの危険性である。

引っ込み思案の人や、気がねする人、あるいは罪の意識を持つ人は、
その罪の部分を知られたくない。そこで相手を嫌いになる。