完全でなくてもいい 役に立たなくてもいい

人間というのは悲しいもので、ある程度強くならなければ、
自分の弱さすら自覚できない。

自分を憎むことで、自分の感情を処理していくことを
学んでしまった者は、大人になってもそれを続ける。

自分を憎んでしまった者は、不幸な完全主義者になっていく。
完全でなければ愛されないという、間違った感じ方にとらわれていく。

そしてまた自分が完全であるならば、皆に愛されるという間違った
思い込みの虜にもなっていく。

自分で自分を憎んでしまった者が、自分はどうであれば憎まれずに
愛されると思うであろうか。
自分が完全でなければならないと思うのは当然であろう。

自分を憎んでいない者は、自分は完全でなくても愛されると
感じることができる。
自分は自分を犠牲にして尽くさなくても、愛されると感じることができる。

しかし自分で自分を憎んでしまった者は、自分は自分を犠牲にして
相手に尽くさなければ相手から愛されないと感じてしまう。

それはよく考えれば、当たり前のことなのである。
自分で自分を憎んでいるのだから、普通にしていれば憎まれると
思うのが当たり前であろう。

相手に対して役に立つときにのみ、自分は必要とされるという
悲しい感じ方にとらわれる。

そのように感じる人には、共同体がないのである。