不信の世界に生きている

他人の眼に映る成功が何故そんなに大切なのか。それは、自分が大切でないからである。

自分が大切でなければ、他人も大切でないのだから
他人の眼に映る成功をそんなに大切にするはずがないと考えられる。

しかしこれは違う。自分を大切にしない人は、他人の眼に映る成功を
大切にするが、他人そのものを大切にしているのではない。

実をいえば、他人の眼に映る成功を大切にしている人は、
その成功によって他人を軽んじたいのである。
成功した人に傲慢な人が多く見られるのはこのためである。

他人の眼に映る成功を大切にしている人は、実は自分の人生も他人の人生も粗末にしているのである。

しかし何故そんなに自分の人生も他人の人生も大切にしないのか?
それは小さい頃、自分の人生を周囲の人から本当に大切にしてもらえなかったからであろう。

ペットが死んで悲しかった時、そんなことでメソメソするなと叱られたかもしれない。
色々な自分の興味や関心を大切にしてくれなかったかもしれない。

喜びの感情を大切にしてくれなかったかもしれない。
自分が遊びたいもので遊ぶのではなく、親が子供が喜ぶはずだと決めつけて
買ってきた玩具で遊ばなければならなかったのかもしれない。

要するに感情を一方的に押し付けられたのである。
親から大切にされなかった子供は、自分で自分を大切にしなくなる。
そして他人も大切にしなくなる。

親が自分を大切にしなかったということを自覚すればするほど
自分を大切にする努力をしなければならないだろう。

自分も信じられず、他人も信じられない。
そのような人は、心の底の底ではまったく不信の世界に生きているのである。

他人の眼に映る成功という、他人を卑しめる手段のみ求めて、
自分も他人も大切にしないという、恐ろしいまでの悲惨な世界に住んでいるのである。

自分を信じ、自分の中の自然を大切にして生きている人には心を開く親しい人が近づくものである。