恐怖感だけでは、いつかは燃え尽きる

虚栄心が強いと実際の自分以上の自分を人に見せようとするから、
生きることはすごいストレスになる。
実際の自分以上の自分を人に見せようとすることで、同じ人生のストレスは倍増する。

人生で何かの障害に出合った。その障害は事実である。
しかし客観的に見て、その障害は乗り越えられないわけではない。

乗り越えられる。
でも本人の心の姿勢で、それは乗り越えられなく感じる。

依存心から自立心に心が変われば、世界は変わる。
どんな大きな障害でも、別の道が見えてくる。

それは何も失業だ、失恋だというような大変なことだけではない。
日常の小さな出来事でも同じである。手(パー)

会社に行くのに忘れ物をしてしまった。会社には遅れるが、取りに帰ることはできる。
それ以外に、二つの対応がある。

一つは「自分は忘れ物をしていない」と自分を納得させて、そのまま会社に行く。
そして会社に着く前に、あるいは会社に着いてからパニックになる。

次は忘れ物をしたということが分かって、そのままうずくまってしまう。
もう、どうにもできない。心の中では助けを求めている。

そこで、取りに帰れるのに取りに帰らない。
そしてどうしていいかわからないでパニックになる。

当たり前の失敗を乗り越えられない。問題は生きる道の困難ではない。
神経症的傾向の強い人には、生きるエネルギーが残っていない。

たとえそれが客観的には安易な道でも、神経症的傾向の強い人にとっては、
歩くだけのエネルギーが残っていない。

自分でない自分で生きることにエネルギーを使い果たして、
もはや生きるエネルギーは残っていない。だからそこにうずくまってしまう。

生きるエネルギーとは心の問題である。
肉体的には生きるエネルギーは十分あるように見える。

しかし本人にはもはや、生きる気力は残っていない。しかしそれは外からは見えない。
だから心理的健康な人には、神経症的傾向の強い人が生きられない理由が理解できない。

基本は神経症的傾向の強い人が、自分自身で生きてこなかったということである。
自己疎外された人は無理をして生きてきたから、
困難を乗り越えるエネルギーがもう残っていない。ふらふら

なんとか今を生きられるのは恐怖感である。
自分が抑圧した感情に直面するのが怖い。
認められないのが怖い。孤独が怖い。

その恐怖感で生きているに過ぎない。
しかし恐怖感だけでは、いつかは燃え尽きる。