自分から自分の立場を放棄していく

自分の立場があってその自分の立場から人と接していくのなら、
そんなに自分と他人とを比較することもない。

立場が違うのだから比較にならない。
また他人の気持ちに必要以上に絡んでいくこともない。
他人を妬んだり、羨んだりということをして自ら不幸になるということもない。

自分の立場をはっきりさせないで人と接していくと、どうしても
神経症的競争に巻き込まれていく。

自分の立場をはっきりさせないから、全てのことで他人より優位に立たないと
不安になるのではないだろうか。

自分の立場がないから、いつも他人が自分をどう見ているか心配になり、
必要以上に他人のすることに絡んでいく。

自分の立場がはっきりしていればしているほど、他人のすることに
干渉することがなくなる。

いくら他人は他人、自分は自分と自分に言い聞かせても、自分の立場がなければ
他人と自分をすべてのことで比較することになる。

新聞記者が政治家の外国訪問に同行したとする。
当然その政治家は、記者として同行しているその人の、その集団の中での
位置などには無関心であろう。

また、記者としての仕事に興味を持ち、熱心であればあるほど、
その人自身その政治家を含めた集団の序列には無関心であるに違いない。

しかし、その人が記者としての仕事に興味を失い、実際に記者として
仕事をしなくなったときには全体の中での自分の立場が心の中で不安定になる。

そのとき初めて彼は、他の政治家が自分をどう扱うかに一喜一憂することになる。
政治家に大切に扱われれば嬉しくなり、政治家に粗末に扱われれば落胆することになる。

自分の心の中で自分の立場を失ったことで、彼は他人に自分の気持ちを
支配する力を与えてしまったのである。

するとどうなっていくか。
相手国の人が自分をどう扱うかでも、自分の気持ちが左右される結果になる。

相手国の人が自分より政治家を大切にして、自分を無視すれば、怒ったり悲しんだり、
逆に政治家よりも報道陣を大切に扱えば嬉しくなって、急に偉くなったような気持ちになる。

人が自分を大切に扱えば自分は大切な人になるし、人が自分を安っぽく扱えば
どうでもいい人間になる。そうなるといつも、人が自分をどう扱うかに
神経を尖らせていることになる。つまり自我像が安定しない。