自分に欠けているものをうまくとり入れる

疲れ果てて挫折する人は、休息をとるのに適当な時を待っている。
明日までにこの仕事を仕上げなければならないから今日は休めない、
来週までに書類を作らなければならないから今週はダメ。

このように今日はダメ、今年はダメと、いつか休息できる然るべき時が
くるのを待っている。しかし、残念ながらそんな時はこない。

不況になったらなったで、今こそ頑張らなければと青くなる。
好況になったらなったで、とても忙しくて休息などしていられないと頑張る。

働きすぎて倒れてしまえば、その人にとっても会社にとっても
家族にとっても、いいことはない。

小さい頃からずる休みをしてきた人は、案外会社に入ってもうまくやっていく。
極度に緊張し、働きすぎて倒れてしまうことはない。

働きすぎて倒れるような人は、小さい頃から骨の折れる仕事を
無理してやってきたような人である。

自己犠牲を美徳と考えて、疲れても疲れても自分にムチ打って働いてきた人である。
朝早くから夜遅くまで、涙ぐましいほどに仕事熱心で、会社の仕事をみんな
背負い込んで働いて、あげくの果てに緊張で眠れぬ夜を訴える。

ある日会社に行けないほど疲れ、無気力になる。
だるくて何をするにもおっくうになる。

人生をうまく生きるために大切なことは、自分に欠けている性質を
うまく自分の中にとり入れることである。

生真面目で求道者のような人にとっては、小学校のずる休みの精神を
自分の中にうまくとり入れることである。

人生に大切なことはバランスである。求道者になったサラリーマンは
自分の内に閉じこもってバランスを欠いてしまっているのである。

求道者はすぐに、良くない事、悪い事、汚れた事に厳しい論理基準をもちだす。
そんな時、良くない事と解釈するよりも、もっとスケールの大きな
人生の生き方を考えれば良いのである。

仕事においても人生においても完全を期待する人は、心の底で恐れている人である。
恐れを抑圧しているから、完全でなければ生きていけないような
不安をもつのである。

完全そのものが悪い訳ではなく、完全を望む隠された動機が悪いのである。
何を恐れているかは人によって違う。

ある人は、他人から不当に低く扱われることを恐れているのかもしれない。
それだけに、完全であることを誇示しないと不安になるのかもしれない。