必要と恐れ

神経症的な人は、相手の母性的な好意を必要としている。
それなしには生きていけない。

そこで相手に自分の存在が依存してしまっている。
となると、自分の存在が頼りなく感じる。安全性と確実性を求める。

その結果相手に対する懐疑に苦しむ。
人は愛されないで育つと、このようなマイナスの感情の輪の中をぐるぐると回ることになる。

神経症的な人の悲劇は、母性的な愛を観念として求めながら、
母性的な愛を体験していないから、具体的に母性的な愛がわかっていないことである。

神経症的な人は、母性的な愛とは自分の辛い、苦しい感情を和らげて
くれるものと思っている。

母性的な愛で育てられても、生きることは辛い時も、苦しい時もある。

神経症的な人は、なぜ相手の言葉を自分への批判と受け取ってしまうのか。
それは、他人の評価が怖いから。幼い頃から評価で育てられているから。
そして、相手を観察していないから。

相手の視線、表情を見れば、自分の人格に対する批判でないことが
わかるのだが、神経症的な人は自分を取り繕うのに一生懸命だから
相手を観察する力がない。

神経症的な人は、必要と恐れという矛盾に悩まされるが、
心理的に健康な人は必要と安心なのである。

必要と恐れという関係には、いたわり、安らぎ、優しさなどはない。
そして必要と恐れということを逆に言えば、必要としない人は
恐れないということである。

つまり自分にとって大事でない人には、冷たい。
神経症的な人は、このような生き方をしているから、エネルギーが生まれてこないのである。