自分を受け入れることは人生の出発点である
絶望感に苦しめられ、無気力で何をするのも億劫な人に大切なことは
先ず自分の育った環境を見つめ反省し、自分の基礎を造ることである。
自分の基礎を造ることと矛盾することが先へ急ぐことなのである。
神経症者は先へ急ぐ。とにかくいつも急いでいる。
その結果いつも自分の基礎を造るという生きる上で最も大切な
心理的作業をおろそかにしてしまう。
自分の基礎を造るとは生活上のことで言えば自分の身の回りのことを
きちんとするということである。
現実の自分の肉体を無視したり、酷使したりすることを止めると
いうことである。
神経症的になる人は自分にとって最も確実な肉体を無視して生きてきた。
自分の肉体を受け入れる、それが人生の出発点でもある。
早く走れる人もいれば、走れない人もいる。音感のいい人もいれば、音痴の人もいる。
色彩感覚のいい人もいれば、そうでない人もいる。
力のある人もいるし、力のない人もいる。
また自分の感情を受け入れることも人生の出発点である。
暗い所が怖い、それは小さい頃、理屈抜きの感情である。
少し年齢が進んで頭でどんなに怖くないと分かっていても暗い所は怖い。
それを肉体についても感情についても「こうあるべき」という所から
出発したところに神経症の原因がある。
自分がこうあるべきとしたというよりも、親を始めとして小さい頃の
自分の人生の重要な他者によって、そう要求されたといった方が適切である。
現実の自分の肉体を大切にすること、感情を大切にすること、
それが出発点である。ことに感情は矛盾している。
それを基本的に解決しながら生きていくことである。