選択をできないといつまでも堂々めぐりをする

未成熟な人間は、そのうち何かあるだろうと期待している。
何かを期待するという幼児的受動精神から脱し切れていない。

何かに期待するのではなく、希望をもってそれを自ら実現していこうという
能動的精神が欠如している。希望をもつことさえできないのかもしれない。
希望をもつというのは、能動的精神活動である。

情緒的未成熟者は、他者に何かを期待するが、自ら希望をもつことはできない。
だから、何かつまらない日常生活、疲れる生活、活気のない生活をしながら、
そのうち何かが起きると期待している。

希望という、何か具体的なものをもつことができるならば、
それはその人を救うであろう。

期待というのは漠然としてものであるだけに、日々の不快憾を
治癒するものではない。

何か漠然とした得体の知れない期待など実現するはずがないのは当然である。
そういう期待をすることは、個として成長することではなく、個として
成長することの苦しみに敗れて昔の幼児に戻りたいという願望のあらわれでしかない。

そこで大切なのは、何よりも日常の生活の中でふと思い浮かんだことを、
ああだこうだと考えずに実行することである。

旅に出たいなとふと思ったら、仕事の都合がつけば、とにかく翌日からでも
旅に出てみることである。だが、たいていは旅に出ようかどうしようかを考える。

行動第一だというので、旅に出ることに決めたとしよう。
そういう人はたいてい次に、どの日に出かけたら会社によく思われるかと考える。

そして何処に行ったら一番自分の休養になるかと考え、綿密な計画を立て始める。
一泊にすべきか、二泊にすべきか、それに従って会社を休む日を決めようとする。

情緒未成熟は完全主義者でもある。完全主義者は心が不安なのである。
所詮完全なものなどないし、何処に行ったらその時の自分に一番プラスになるかなど、
行ってみなければ分かりっこない。

それを行かないうちに分かろうとするし、分からないと気が済まないのである。
先ず行動してみるということの内容は、そんな計画などなくていいということである。

一泊のつもりで旅に出たが、家に帰りたくなったら日帰りでいいのである。
疲れるだけだったら疲れるだけでいい。
先ず心に浮かんだことを実行できたことに満足しなければならない。

うつ病的傾向の強い情緒未成熟者は、選択することができないで、
いつまでも堂々めぐりをしている。

間違った選択はよくないが、それより悪いのは、選択しないということを
選択してしまうことである。