自分のために何かをするということができなくなっている

自我の個性が出てくるということは、自分の好きなことが
出来てくるということでもある。

人のために何かをするのではなく、自分がしたいから自分がする、
ただそれだけのことで何かをする。

これは人を喜ばすために何かをするというのとは全く違う。
人を喜ばすためにだけ何かをして生きてきた人は、喜ばす人が
いなくなるとどうしていいか分からなくなる。寂しくなってしまう。
役割喪失である。

娘のために生きてきたという母親が、娘がお嫁に行くとうつ病になることがある。
娘を喜ばすためにだけ生きてきたのである。

自分のために何かをするということができなくなっている。
うつ病の契機になるのは喜ばす人がいなくなることと言ってもいい。

自分が何かをしていることの意味が、人が喜んでくれる、人が見てくれる、
そのようなことと関係なくなったとき、自我の個性が出来てきたと
いうことであろう。

例えば誰も聞いてくれなくても、自分一人でギターを弾いていることが嬉しい、
誰もすごいと誉めてくれなくても、一人でおしゃれをして楽しめる。
おしゃれをすること自体が楽しい、気分がいい。

図書館で一人で静かに本を読んでいるだけで楽しい。
そのことが自分の役割に何の助けにならなくても楽しい。

その様な自我があれば役割を喪失したといって発病することもない。
自分のしたいことがあれば、あーこれでやっと自分のしたいことができるように
なったと、娘のいなくなった寂しさでうつ病などにならなくてすむのではないか。