立派ではないのに、立派だと思ってもらおうとするから病んでいく

今のあなたには、利他主義よりも自己批判よりも大切なことがある。
感情の安定である。そのために妨害となっているものは、
どんなものでも一応今のところは顧慮する必要はない。

自分の幼児的願望に気づき、それを満足させることの方が重要であろう。
この歳で、泥遊びなど恥ずかしくてできないなどと思う必要はない。

小学生と同じことをして遊ぶのである。
実際の自分は立派ではないのに、他人に立派と思ってもらおうとするから
いよいよ病んでいくのである。

肉体的には四十歳であっても情緒的には十歳の面がある人は、
十歳の困った男、或いは女と周囲に扱われたほうが幸せである。

今まで他人に対して自分を守ることばかり考えてきたのではないか。
しかしそれで何か得することがあっただろうか。

自分を守れただろうか。何も守れなかったのではないか。
それよりも自分の心に眼を向け、人生の当たり前の順序に従って
生きようとすることである。

人間の欲求は抑圧することはできるけれども消えることはない。
いわゆる甘えというような幼児的一体化願望も満足されて、はじめて消えるものだろう。

それを子供の頃抑えることはできる。しかしそれではその欲求は消えない。
子供は身勝手なのである。天使などではない。

愛されるとは、その身勝手さを受け入れられ、理解される、ということである。
そしてそのように愛されるから身勝手な人間ではなくなっていくのである。

今、心の病んでいるあなたにとって必要な人とは、情緒的に成熟した大人である。
社会的に高い地位の人でも、お金のある人でもない。

とにかく自分の幼稚さを理解してくれる人である。
ところが未成熟な人は、ついつい未成熟な人と結びついて、一緒に他人を
非難することで自分の自信のなさを解消しようとしてしまう。