どうしよう、こうしようと尽きない悩み
心配症といわれる人がいる。
これから起きることをああでもない、こうでもないと悩んだり、
ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようと、くよくよ悩む。
こうなったら大変だ、ああなったら大変だと夜も眠れない。
しかしたいてい心配するようなことにはならない。
それなのに心配することで消耗し、心配することで時を無駄にする。
こういう人は怒りを抑圧した人であろう。
何か心に葛藤のある人のほうが、不必要に心配する。
ほとんど起こり得ないようなことを恐れて、もしそうなったらどうしようと
深刻に悩んでいるのである。
食事をしていても、歩いていても、そのどうしようもないことを考えている。
気になって仕方ないのである。
問題は、ああでもない、こうでもないとくよくよ悩んでいることに
あるのではない。心の葛藤が、そのようにくよくよ悩むということを
通して表現されているのである。
例えば、もともと自分は、このように生きるべき人間ではなかった
のではないかという思いがある。
しかしそのような心の底の思いを、到底認めることはできない。
こんな生き方をしてしまった自分と、そんな生き方を強制した周囲に
言い知れぬ怒りを覚えている。しかしこの怒りを認めることはできない。
抑圧のない人、基本的な葛藤のない人は、どうしようもないことを
いつまでもくよくよ悩んでいる間に、今できることをするものである。
悔やんでいてもどうしようもないことを、いつまでもしまったと
悔やんでいる人は、そのときできることをしないものである。
それはその人が、もし逆の選択をしたとしても同じだからである。
断ったあとで、ああやっぱり引き受ければよかった。
引き受けたら引き受けたで、断ればよかったといつまでも悩んでいる。
問題は、決して引き受けたか断ったかにあるのではない。
問題は、その人の心の葛藤にある。
認めることのできない自分への失望感であるのか、誰かに対する怒りで
あるのかはわからないが、何か重大なことを自分に隠している。