強く生きるにはそれだけの条件は必要である
人は他人の経済的条件とか、肉体的条件には考慮するが、心理的条件については
同じような考慮をしない。
新入社員が、社長と同じ家に住もうとローンを組めば破綻する。
それぞれお互いにそのことは認め合っている。
また当の本人も、自分の収入に合わせて生活設計をする。
ところが、人は自分の自我の確かさに合わせて生活設計をすることをあまりしない。
「収入が少ないからこういう生活をしています」と言えば、世間の人はそれを認める。
しかし「自分の自我は脆いからこういう生活をしています」と言っても、世間の人は
あまりそれを認めないし、そのような習慣もない。
それだけに、自分の自我の確かさに応じた生活は自らしようとしなければ、
なかなかできるものではない。
人は経済的・肉体的に無理なことを要求された時は、それを拒否することが多いし、
また拒否しやすい。
本人も、経済的なことや肉体的なことを理由に何かの頼みを断ることには正当性があると
思っているが、自分の自我の脆さを理由に何かを断ることは正当でないと思っている。
それは、いくじのないことであり、甘えであり、身勝手なことであると思っている。
そして、そんな弱い自分を鍛えなければならないと信じている。
自分が経済的に困っているので相手の申し出に応じられない時には、断ることを
正当と感じ、自分の自我が脆いが故に相手の申し出を断ることは許されないことだと感じる。
そして、断るならば、後ろめたさ感じる。
経済的なこと、肉体的なことは自分の意志ではどうにもならないと思っている人が、
自分の自我の脆さには自分の責任を感じるという、きわめて奇妙なことが起きる。